日本酒のおいしいことで知られる秋田県の中でも、湯沢市はかつて「東北の灘」と呼ばれるほど、酒造りが盛んな土地でした。市内にはいくつもの蔵が立ち並び、最盛期には20を超える銘柄が造られていました。そして、現在も老舗ののれんを守りながら、世界に認められる銘酒を造り続けています。
おいしい日本酒を造るにはいくつかの条件があります。原料になる米。大量に使われる水。発酵を左右する環境。常に時代に沿った味を生み出す技術。そして、厳しい環境の中でも確実に作業をこなす実直な蔵人の存在。これらが整って初めておいしい日本酒が出来上がります。さらに良質な酒を消費する市場が欠かせない存在です。湯沢市は、その全ての条件を満たしているため、日本酒造りが盛んになりました。
1. 藩政時代……鉱山開発とともに発展した酒造業
藩政時代は、鉱山を中心に酒造が盛んに行われました。その多くは地主階級で、自己所有田からの余剰米を使った小規模なものでした。雄物川上流に位置する雄勝、平鹿、仙北三郡は藩内の重要な穀倉地帯で、その米質は当時の三名柄(本庄米、仙北米…湯沢雄勝を含む、地廻米…河辺、秋田)の中で本庄米に次いで優れたとされ、生産量も多く酒造米にも向いていたため、各地に酒造業が発展しました。当時、酒造を行うには「酒屋役」といわれる税を収めなければならず、これは藩の財政を支える重要なもので、その営業は厳重な許可制と取り締まりのもとで行われたのです。慶長17年(1612)には、横堀・小野両村にもこの酒屋役が課されました。
2. 明治時代……技術の向上に努め、全国に認められる酒に発展
明治4年、それまでの酒株制(江戸時代の酒造業の免許制度で、酒造に使える米の量が制限されていました)を廃止し、新たな免許制度が設けられました。これにより、秋田県内各地でも新規に酒造業を始める人が増え、多くの銘柄が造られるようになったのです。とはいえ、酒造技術は灘、伏見の酒はもとより大山(現山形県鶴岡市)の酒と比べても遅れていました。
明治時代は、全国的に酒造技術の向上が図られた時代です。日本醸造協会では、新技術普及のための講習会を開催し、全国の蔵元から受講者を募りました。湯沢からは、伊藤隆三氏(両関)が明治31年(1898)の第1回酒造講習会を受講し、更に自ら寒冷地向きに改良して品質の向上に努めました。その結果、明治40年に開催された、日本醸造協会主催による第1回全国清酒品評会(以降隔年開催、昭和13年第16回をもって中止)に於いて、伊藤仁右衛門商店の「両関」「庭の井」が一等賞を受賞(審査点数2138点、優等賞5点、一等賞48点)、全国から注目される存在となりました。また、その技術を惜しむことなく公開し、県内外の酒造技術の発展に貢献したのです。これにより、県内の酒造技術は格段に向上。銘醸地としての礎を築きました。
3. 大正時代……数々の賞を受賞する銘醸地へと躍進
大正時代は、秋田県産酒の躍進の時代です。全国清酒品評会に於ける成績も、湯沢市を中心とした蔵元が次々に好成績を収め、全国から注目を集めるようになりました。大正2年(1913)、国立醸造研究所(現酒類総合研究所)主催の第4回品評会では、「両関」が秋田県で始めて優等賞を受賞しました。これは、全国から出品された2801点中、上位8点に入るという快挙でした。灘、伏見以北の地で、優れた酒が醸されていることは、大きな驚きだったようです。さらに、大正10年(1921)開催の第8回品評会では、「両関」が名誉賞(優等賞を連続4回受賞した蔵に与えられる)を受賞し、続いて「志ら菊」「爛漫」「小野之里」が名誉賞や優等賞を次々に受賞、銘醸地としての名を不動のものとしました。
4. 近代……どん底の時代から不動の銘醸地へ
世界恐慌や第2次世界大戦など激動の昭和時代は、日本酒にとっても大きな変革の時代です。特に第二次世界大戦中は、原料になる米が貴重になり、製造も制限され、多くの蔵元が廃業する事態となりました。秋田県内でも企業整備によりその数が半減しています。湯沢市でも稼働する工場は9場のみとなりました。
戦後、不足する日本酒の量を補うように、全国的に増産体制が整えられ、製造を休止していた工場も復活復元しました。昭和28年の記録によると、湯沢市では13場が酒造りを行っています。日本酒作りも機械化が進み、技術も大幅に前進し、多くの蔵元で優良な酒が醸されるようになります。全国新酒鑑評会でも秋田県の酒が常に上位成績を収め、特に湯沢の銘酒は常に金賞に名を連ねる質の高さでその名を不動のものとしました。
日々嗜好の変わる厳しい現代にあって、伝統を守りながらも、未来に向けて躍進する酒造業界。湯沢市の銘酒も、日本から羽ばたき、今では世界に認められるSAKEとして、毎年海外で数々の賞を受賞しています。本物の持つ豊かな味わいに国境はありません。これからも、世界中の人々に愛される酒を湯沢から発信し続けていきます。